音の余韻にひらく記憶――ガラスの引き出しに触れる|みつけるもよう

10月4日・5日、東京クラフトフェスティバルが開催された。
木の香り、陶器の肌、布のやわらかさ。手仕事の息づかいが、空気の密度を高めているように感じられた。
そんな中で、ふと足を止めたブースがあった。
そこには、小さなガラスの箱がいくつも並んでいた。
作家・汲田日向子さんの手による「ガラスの引き出し」。
光を吸い込み、内側からやわらかく反射するその存在は、まるで静かな生き物のようだった。

ガラスの箱に宿る、温度のある静けさ
最初に目を奪われたのは、透明の中にある“静かな温度”だった。
ガラスといえば、どこか冷たい素材という印象がある。けれど汲田さんの作品は違う。
角の仕上げや、引き出しの厚みにまで微妙な揺らぎがあって、指で触れると、ほんの少しだけ手のひらに空気が残るような感覚があった。
ガラスはひんやりとしつつ、やさしい素材なのかもしれない。
引き出しをそっと開けると、「さーっ」と、ガラス同士が触れ合う小さな音がした。
それは、何かが始まる予感のような音だった。
その音は、空間の静けさごと切り取っているかのような時間のかけらだった。
ガラスの引き出しには、そんな不思議な力がある。
触れると、部屋の空気が少し澄んでいくような――そんな錯覚すら覚える。
聴こえる、引き出し
帰宅してから、引き出しを机の上に置き、何度も開け閉めしてみた。
「コトン」「スーッ」「カラン」
音はいつも同じようでいて、毎回少し違う。
指の角度、引く速さ、気温や湿度――ほんの些細な条件の違いで、響き方が変わる。
まるで、ガラスがその日の気分を語っているようだった。
ガラスの面に窓の光が映り、引き出しを開けるたびに反射が揺れる。
引き出しの“カラン”という音に合わせて、記憶の断片が浮かぶ。
夏の午後、祖母の家で氷が割れる音。
学校帰りに飲んだサイダーの音。
音が、思い出を呼び戻す。
そして、思い出が、音に還っていく。

「しまう」ではなく「入れる」
ガラスの引き出しに、何を入れるか。
それを考える時間が、何よりも楽しい。
指輪、ドライフラワー、古い切手。
どれを入れても、光と影がそっと包み込む。
まるで「ここにいていいよ」と言ってくれるようだ。
ガラスの中では、ものの“時間”が止まる。
でもそれは、死んでしまう静止ではない。
光の角度で見え方が変わるように、
見るたびに違う表情を見せてくれる“生きた静止”だ。
この小さな引き出しは、しまうための箱ではなく、
「記憶を入れておく場所」なのかもしれない。

日々の中に、開かれる余韻
筆者にとって、このガラスの引き出しは“音をしまう箱”になった。
夜、指輪の音が、2つ鳴る。
忙しい日々の中で、そんな瞬間を取り戻せるだけで、
少し呼吸が深くなる。
ガラスの引き出しは、きっとその大きさの分だけ、人の心に空気で余白を作る。
手仕事でありながら、アートのようで、そして何より「日常に還ってくる作品」。
「聴こえない音」も聴く
このガラスには、「聴こえない音」がある。
それは、ガラスが動く瞬間の息づかい。空気と人の手の間で生まれる、目には見えないリズムがある。
引き出しを開け閉めするたびに、耳を澄ませる。そして思う。光は、見えなくてもそこに寄り添っているのかもしれない。
今回のモノ/ガラスの引き出し ridgeline
作者/汲田日向子
URL/Instagram:@hinakokumita

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